多賀城創建1300年記念事業

HISTORY

多賀城の歴史

多賀城
京を去ること一千五百里
蝦夷国の界を去ること一百廿里
常陸国の界を去ること四百十二里
下野国の界を去ること二百七十四里
靺鞨国の界を去ること三千里

此の城は、神亀元年、歳は甲子に次る 
按察使兼鎮守将軍従四位上勲四等
大野朝臣東人の置く所なり
天平宝字六年、歳は壬寅に次る
参議東海東山節度使従四位上 
仁部省卿兼按察使鎮守将軍
藤原恵美朝臣朝獦、修造するなり。

多賀城という名前は「賀び多き城」と読めるように、
東北の安寧を願ってつくられた城です。

縄文時代

縄文時代、東北地方は今よりも温暖で、山の幸、海の幸に恵まれた場所でした。
特に多賀城からほど近い松島湾沿岸には約70ヵ所の貝塚が集中して分布しており、東京湾や霞ヶ浦沿岸とならび

縄文時代の貝塚が密集する地域として知られています。

日本最大級の規模をもつ里浜貝塚や西ノ浜貝塚、大木囲貝塚のように長期間にわたってムラが営まれた、規模の大きな貝塚もみられます。
縄文時代を通じて変わらなかった松島湾の自然環境が、縄文人の豊かな生活を支え続け、多くの貝塚を今に残しています。

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弥生時代

多賀城市の大代地区には考古学史に残る「桝形囲(ますがたがこい)貝塚」があります。今から約100年前、ここから出土した土器は、土器の底部に稲籾(いねもみ)の圧痕が確認されたことから、

水田稲作が行われていた弥生時代の土器であることがわかりました。

この発見によって、東北地方にも弥生文化が伝わり、米作りを行っていたことが証明され、新たな東北史の幕開けとなりました。

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古墳時代

日本各地に大きな古墳が出現します。宮城県内でも仙台平野に、大きさ100mを超える雷神山古墳や遠見塚古墳が造られました。
多賀城では、大きな古墳は造られないものの、4世紀に入ると丘陵上や沖積地の微高地に竪穴住居をつくって人々が暮らし始めました。その範囲は、細長い自然堤防の縁辺部に東西約2.5キロメートル、南北0.7キロメートルに及ぶ広大なものです。また、高崎地区では矢板を立て並べた水路が造成されており、高水準の土木技術を有していたことが知られます。

造られないものの、4世紀に入ると丘陵上や沖積地の微高地に竪穴住居をつくって人々が暮らし始めました。その範囲は、細長い自然堤防の縁辺部に東西約2.5キロメートル、南北0.7キロメートルに及ぶ広大なものです。また、高崎地区では矢板を立て並べた水路が造成されており、高水準の土木技術を有していたことが知られます。

5世紀になると続縄文土器や黒曜石でつくった石器などの北海道系遺物が山王遺跡や新田遺跡から発見されており、多賀城周辺が北方の人々と交流拠点であったことがわかります。

6世紀から7世紀にかけては、稲荷殿(いなりでん)古墳(円墳)や、大代(おおしろ)横穴墓、田屋場(たやば)横穴墓が知られています。大代横穴墓の副葬品には装飾太刀などが供えられており、この地域を治めていた豪族の墓であると考えられます。また、山王遺跡八幡地区では、竪穴住居が密集した大規模な集落が発見されており、この地域が当時の政治的、軍事的、経済的に重要な拠点であったと考えられています。

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奈良時代

多賀城創建

陸奥国の成立は7世紀後半のこととされているが、その頃の範囲は、福島県全域と宮城県の大崎地方あたりまでであり、その北の地域はまだ律令政府に属さない

「蝦夷」と呼ばれる人々の地でした。

奈良時代の初めに平城京が整備されると、時をおかずして全国の国府が整備されていく。そういった中 、多賀城は、神亀元年(=724年)、仙台平野を望む松島丘陵の先端に築かれたその規模は約900m四方に及び、ほぼ中央には政庁が、城内の各所には実務官衙域がありました。多賀城は、陸奥国を治める国府として、また、按察使が常駐することから陸奥・出羽両国を統轄し、さらに、東北地方北部の「蝦夷の地」を国内に取り込んでいく役割も担っていました。また、多くの人や物が集まるなど、東北地方の政治文化の中心としての役割を果たしました。

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平安時代

多賀城の南面から西側にかけての地域には、東山道の延長部分である南北大路と多賀城南門から5町(約550m)南で南辺築地と平行する東西大路が建設され、さらに、8世紀後半には、河川を改修し運河を整備するなど水陸両交通を兼ね備えた都市建設が始まりました。

運河を整備するなど水陸両交通を兼ね備えた都市建設が始まりました。

この南北・東西大路を基準として、碁盤の目状に道路網で区画(方格地割)されたまち並みが段階的に整備されました。9世紀中頃に完成したことが発掘調査により判明しています。その範囲は東西約1700m、南北約900mにおよび、南北道路13条、東西道路6条が確認されています。

都市の中には、庶民をはじめ多賀城に勤務した役人や兵士が暮らし、都から赴任してきた上級官人は東西大路に面した区画に邸宅を構え、下級役人や庶民は大路から離れた区画に軒を並べて住んでいたことが明らかになっています。一方、南北大路沿いは邸宅等が建つ私的な空間ではなく、大型の建物が建ち並ぶ公的な場であったことが判明しています。

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中世

源平の合戦を経て12世紀末には鎌倉幕府が開かれ、武士が政治や経済の担い手となり、その後16世紀後半の戦国の争乱が終わるまでの約400年間、東北地方では激しい

戦乱が続きましたが、同時に田畑の開発や商業活動が盛んになり、地域間の活発な交流もみられました。

奈良・平安時代に陸奥国府が置かれた多賀城は、発掘調査の結果から11世紀中頃には国府としての主要な役割を終えたと考えられています。しかし、その後に書かれた中世の記録には、しばしば「多賀国府」という名が登場します。

現在、仙台市宮城野区岩切から本市の西部にかけての地域が、その有力候補地に挙げられています。この地域には、中世の遺跡が密集することが長年の発掘調査から明らかになっており、また、「奥大道(おくだいどう)」という鎌倉からの幹線道路と、この周辺では海へと通じる主要な河川であった冠川(七北田川)が交差するなど、水陸交通の要衝であり、町場や市場も存在していたことがわかっています。

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江戸時代

江戸時代の多賀城には13の村々がありました。それぞれの村には、藩の直轄地と、複数の家臣の知行地が存在しているのが一般的で、市域に知行地をもつ家臣のうち、屋敷をもって

居住していた家臣が13氏あり、その中の最大の家臣は八幡に在所拝領した仙台藩準一家天童氏でした。

天童氏はもと出羽国天童城の城主で、奥州管領斯波家兼の流れをくむ名門です。
10代頼澄の時、最上氏と対立、天正12年(1584)天童城が落城し、宮城郡西部を所領としていた国分氏を頼って奥州に移り、のち伊達政宗に仕えることとなります。
天童氏は八幡村に在郷屋敷を持ち、まわりに家臣団を住まわせていました。その様子は天和元年(1681)作成の屋敷絵図に明らかであり、さらにこの絵図は、現在の八幡のまち割りが江戸時代と大きく変わらないことを示しています。

この八幡には、末の松山、沖の井といった歌枕があり、多賀城には、これらをはじめ壺碑など歌枕が数多く存在します。元禄2年(1689 「おくのほそ道」の旅で当地を訪れた松尾芭蕉は、古来より歌に詠まれた歌枕と対面し、その感動を紀行文『おくのほそ道』に書き残しています。

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近現代

明治政府による日本初の近代港湾建設事業である野蒜築港事業が始められると、宮城県は六大事業の一環として貞山運河の全面的な改修を実施し、御舟入堀も大改修が行われました。 明治17年(1884)、野蒜築港事業は台風の被害により頓挫しますが、明治20年(1887)に貞山運河の全面的な改修が完了しました。

明治17年(1884)、野蒜築港事業は台風の被害により頓挫しますが、明治20年(1887)に貞山運河の全面的な改修が完了しました。

ここのような情勢の中、明治18年(1885)日本鉄道会社は、奥州線(東北本線の前身)郡山-仙台間の工事にあたり、中止となっていた野蒜-仙台-福島間の測量を、塩釜-仙台-福島間に変更して開始することとなります。これは、失敗に終わった野蒜築港の代わりに、塩竈港が脚光を浴びたことによるものでした。その後、仙台-福島間の鉄道工事は明治19年(1886)に「塩釜」から開始され、資材運搬線が仙台へ向けて建設されていきました。これが宮城県最初の鉄道であり、後の塩釜線です。

近代化の波は押し寄せつつありましたが、 明治になっても市内は江戸時代と変わらず仙台近郊の農村地帯でした。
この様相を一変させたのが、第二次世界大戦時に設置された多賀城海軍工廠で、その範囲は市面積の4分の1に及ぶ広大なものでした。なお、海軍工廠の建設は、航空機用機銃とその弾薬を作ることを目的に、昭和17年(1942)7月1日から開始され、昭和18年10月1日に開庁しました。
戦後は一時米軍の管理下に置かれますが、接収解除後は工場地帯や陸上自衛隊多賀城駐屯地として現在に至っています。駐屯地内には海軍工廠時の建物や土塁等の一部が現存しています。

自治体としての多賀城は明治の初めには新田、山王、南宮、高橋、市川、浮島、高崎、留ヶ谷、田中、八幡、下馬、笠神、大代の13ヶ村でしたが、明治22年市制・町村制が施行されると多賀城村になりました。戦後、市町村合併促進策によって全国的に多くの市町村が合併し村の名が激減しましたが、多賀城市は行政区域に大きな変更がないまま昭和26年には町制、昭和46年には市制を施行して今日に至っています。

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